2009年11月2日月曜日

霊場 5

 光は星や隕石とも通じる。 昔は、星が山に落ちてきて、それが、金、銀、銅などの鉱物になると信じられてきた。 私は船戸氏の紹介で高賀神社の宮司と知遇を得た。 宮司は、かつて山師として仕事をしていたことがあり、鉱脈を探して山に入ったという。 この宮司も武藤姓だった。 名前を武藤三郎といい、よくよく話を聞いてみると私とは遠縁の親戚同士で、私の父方の祖父である武藤徳之助のことを知っていた。 母方の祖父である石場金治のこともよく知っていた。 若い頃、よく祖父と一緒に山に入ったと教えてくれた。
 高賀山では多種の鉱物が採取された。 そのことは修験者と深い関わりがあった。 山を舞台に生活を営む人々ー金属採取者、木地師(きじし)、杣人(そまびと)、狩人、鉄山師、炭焼きーは、平地を生活の場とする農耕民とは違った特別な存在と見られていた。 山伏といわれる修験者は、そのような山の民と関わりを持ちながら、独特の文化を形成していったのだ。 鉱山の発掘は戦国大名が本格的に始める以前は、山伏が行っていた。 修験道における護摩などの火を使う修法は、その根底に鉄などの精錬を行う踏鞴師(たたらし)などの金属文化との関わりを暗示している。
彼らの火を扱う技術は、きわめて聖なるものとして秘術になったのだ。